プロレス解体新書 ROUND65 〈破壊なくして創造なし!〉 熱狂のZERO-ONE旗揚げ戦 (1/3ページ)

週刊実話

 2001年3月2日、橋本真也が「破壊なくして創造なし!」との理念を掲げ、プロレスリングZERO-ONE(ゼロワン)を旗揚げした。
 当日のカードは、古巣の新日本プロレスをはじめ、三沢光晴率いるノア勢までもが参戦する豪華ラインナップ。当時の小泉純一郎首相が「自民党をぶっ壊す」と旋風を巻き起こしたのと同様、橋本にも大きな期待が寄せられた。

 橋本真也が脳幹出血で亡くなってから今年で早12年。40歳での早すぎる死を惜しむ声は、今もなおファンの間で多く聞かれる。
 爆殺キックに袈裟斬りチョップ、垂直落下式DDT。相手を叩き潰すかのごときその攻めっぷりから、橋本は“破壊王”の異名をとった。
 だが、対戦相手が嫌がるほどの強さを誇ったその反面で、トニー・ホームや小川直也など特定の相手には、意外なほどのモロさを見せた。
 「インタビューなどでも基本は豪放磊落でありながら、時にはポロッと弱音を漏らす。そんな二面性にファン心理をくすぐられ、“俺が応援しなきゃ”という気持ちになった人も多いでしょう」(プロレスライター)

 その橋本が新日本プロレスから独立し、2001年に旗揚げしたZERO-ONEは、当然のように多くのファンから支持を得た。
 旗揚げ戦のメインイベントは橋本と永田裕志がタッグを組み、三沢光晴&秋山準と対戦するという、当時とすれば夢のカード。当日の両国国技館は超満員の観衆で埋め尽くされた。
 「これはノア勢、それもトップの三沢が参戦し、素顔になってから初めて、新日系レスラーと絡むことへの期待も大きかった。しかし、その三沢の参戦もどこか橋本に魅力を感じたからこそ、実現したに違いないわけですからね」(同)

 このときの対抗戦に際しては、不機嫌そうな態度に終始した三沢だが、それは“対抗戦を盛り上げるためのアングル”と見るべきだろう。そもそも本当に嫌なら、上り調子の人気にあったこの時期のノアが、わざわざ海のものとも山のものとも分からない新興団体と絡む必要がない。
 「エース格の小橋建太が膝の故障により欠場中だったため、その間のつなぎとしてZERO-ONE勢を使いたいというのも、どこかにあったでしょう。

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