愛にも嘘は必要か? 高橋一生インタビュー「嘘」編 (3/4ページ)
金メッキを『剥がす』という行為については、相手に剥がれてもらうためにもこっちから剥がれないといけないので。こっちがダサくならなきゃ相手もダサくなんてなれない」
「自分が相手の本質を知りたかったら、まず自分がすべてをさらけ出さないと」と彼は続ける。自分のすべてを見せることと、嘘。両極にあるそれだが、彼はすべてをさらけ出せる相手に嘘をつくことはあるのだろうか。尋ねてみると、意外にも「あります」という答えが。
しかも「すごくうまいと思います」なんて、余裕たっぷりに笑う。軽い気持ちで「役者さんですもんね」と返してしまった私に向けられたのは「それとこれとはちがうんです」という否定と、逸らしたくなるほどに真剣な眼差しだった。
「お芝居をする時は『演技』とは意識してないんです。テクニカルなことは一切やらないようにしています。」
それは、演技という言葉は嫌いだという彼が持つ信念。
「お芝居はやっぱり引いていくべきだと思うんです。芝の上に居る(=芝居)だけで、演じる技(=演技)ではない」
役者という仕事自体、虚構の世界に生きるという意味において嘘とは切っても切れない関係にある。というより、極論を言ってしまえば嘘をつき続けるのが役者だと言えるのではないだろうか。しかしそれは、あくまでもその「嘘」の中にある「本当のこと」を伝えるための手段。だからこそ、その手段が意図として透けて見えてしまってはいけないのだ。
時間が経って、「嘘」が「本当」に変わることもあるただ、日常で嘘をつく時は逆に「演じる技を使わないとつけない」とポロリ。高橋一生がつく嘘って? 気になるのは私だけじゃないはずだ。
「たとえば、恋人が夢中になっていることに興味がなくてもあるフリをするとか。それによって、相手がどんなふうに喜んでくれるのか期待してしまいます。あと、つき続けなくてはいけない嘘もあるような気がして。決定的に『ここは合わない』というところがあったとしても、もしかしたらいつか共有できるようになるかもしれない。それまでは嘘をついていたほうがおもしろいかもしれません。その壁はいつか絶対突き破らなければいけないけれど、今ではないだろうと思えば言わないことだってある。