悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!? (2/5ページ)
ケガレを受けない清らかな生活)を続け、弟の安積親王(あさかしんのう)が薨去された天平十六744年1月13日、斎王の任を解かれて京都に還ってきたのでした。
白壁王との結婚・そしてニ人の子供たちさて、京都に還って来た井上内親王は、天平十九747年ごろに天智天皇の皇孫に当たる白壁王(しらかべおう)と結婚。すでにアラサーですから、当時としては相当な晩婚です。
その後、天平勝宝六756年に38歳で長女・酒人内親王(さかひとないしんのう)を、天平宝字五761年に45歳で長男・他戸親王(おさべしんのう)を産んだとされていますが、この異例な高齢出産に、今でも諸説が唱えられています。
ところで、当時は朝廷の内部で権力抗争が激化しており、多くの皇位継承候補が次々と殺されていく中、白壁王は酒におぼれて無能なフリをしていたことで魔手から逃れたと言われています。
その一方で、称徳天皇の治世下で大納言(右大臣・左大臣につぐ第3位の権力者)として政界をリードしていたとも言われますから、おそらく有能でありながら野心を示さないことで、権力抗争からうまく距離をとっていたものと考えられます。
夫の皇位継承、そして不思議なわらべうたそんな神護景雲四770年、皇位継承者である皇太子を定めないまま、女帝・称徳天皇が薨去してしまいます。
ここでまた有力貴族たちによる後継者争いが起きるのですが、最終的には何かと都合のよさげな白壁王を天皇陛下に即位させます。時に宝亀元770年(※神護景雲から改元)、後の光仁天皇です。