悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!? (3/5ページ)

Japaaan

その正妻である井上内親王は皇后となったのですが、このころ、都ではこんなわらべうたが流行っていたそうです。

♪葛城寺(かずらきでら)の前にありや、豊浦寺(とゆらでら)の西にありや、おしとど、としとど、桜井に白壁沈(つ)くや、よき壁沈(つ)くや、おしとど、としとど、然(しこう)しては、国ぞさかゆるや、吾(あ)が家よぞさかゆるや、おしとど、としとど……♪

「しとど」とは「びしょぬれ」を意味し、ごく大ざっぱに解釈すれば「壁が井戸の水に浸かってびしょぬれになれば、国が栄える、家が栄える」、つまり白壁王(光仁天皇)と井上内親王の二人がよい政治をしてくれる、といった期待を意味します。

昔から、時おりこうした暗示的な歌が流行しますが、子供たちが朝廷の内部まで知った上で作ったとは考えにくく、白壁王を猛烈プッシュしていた貴族たちが、世論形勢のために流行らせたのかも知れませんね。

翌・宝亀二771年には長男の他戸親王が皇太子に立てられるなど順風満帆、井上内親王は人生の絶頂期を迎えていました。

謀略と裏切り、理不尽な悲劇の末路

しかし、いいことは長く続きません。

宝亀三772年3月、井上内親王は「光仁天皇を呪い殺そうとした(巫蠱の罪・ふこ)」という言いがかりにより、いきなり皇后の地位を奪われてしまいます。

追い討ちをかけるように同年5月、息子の他戸親王も「井上内親王の子だから」というとばっちり以外の何者でもない理不尽な罪で皇太子の位を奪われた上、名前も「庶人(もろひと)」に変えさせられてしまいました。

つまり皇族としての身分まで奪われてしまったのですが、そこまでの重罪であるにもかかわらず、井上内親王・他戸親王の側近たちはお咎めなしであることから、周囲の裏切りがあったものと考えられています。

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