悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!? (4/5ページ)

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さらに宝亀四773年10月、光仁天皇の姉でご不例(病気)となっていた難波内親王(なにわないしんのう)を呪ったという罪で、母子ともども大和国宇智郡(現:奈良県五條市)に幽閉され、宝亀六775年4月27日、母子同時に亡くなったそうです。

この不自然きわまる転落劇は、朝廷内部で起きていた皇位継承者争いと無関係ではなく、光仁天皇の異母兄である山部親王(やまべしんのう。後の桓武天皇)を皇太子に立てたい勢力による謀略と考えられます。

時に井上内親王は享年59歳、他戸親王は享年15歳という若さでした。

怨念で竜に変身!?暴風雨と名誉回復

しかし、話はまだ終わりません。

井上内親王と他戸親王が亡くなって四か月後の宝亀六775年8月、伊勢(現:三重県)と尾張(現:愛知県西部)、そして美濃(現:岐阜県南部)を暴風雨が襲い、伊勢の神宮にも大きな被害が出ました。

こういう場合、通常なら伊勢国司が修繕費用を負担するのですが、この時ばかりは被害が大きかったため、朝廷から修理使が派遣されました。

これは事態を重く見た朝廷が、かつて斎王として神宮にお仕えしていた井上内親王の怨霊を鎮めるためとも言われ、『帝王編年紀』や『一代要記』など平安時代の記録には、井上内親王が竜に化けて暴れ回ったと伝えられます。

そんな祟りも続いてか、宝亀八777年には井上内親王の墓が立派にリニューアルされたのをはじめ、彼女の名誉回復キャンペーンが展開されます。

最終的には延暦十九800年、井上内親王は再び皇后の位に復帰されています。

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