プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「藤田和之」プロレス冬の時代に気を吐いた“野獣” (1/3ページ)

週刊実話

“猪木イズム最後の闘魂継承者”のキャッチフレーズで総合格闘技に進出。プロレスでもIWGP王座を3度獲得した藤田和之。
 アマレス仕込みの技術や持ち前の体力は周囲の誰もが認めるところで、トップクラスの名選手には違いないのだが…。
※ ※ ※
 時代が21世紀へと移る2000年を前後して、日本のプロレス界は二つの激震に見舞われた。

 一つは総合格闘技の本格的な市場参入で、髙田延彦(’97、’98年)や船木誠勝(’00年)がヒクソン・グレイシーに敗れたことにより、それまでの“UWF=強さの象徴”“プロレスは最強の格闘技”という信仰が崩れていった。

 そして、もう一つの衝撃がミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技』(’01年刊)である。新日本プロレスでメインレフェリーまで務めた内部の人間が、プロレスにおける演出手法を赤裸々に暴露し、「ショーである」と明言したことで、業界全体が大きな痛手を被ることになった。
「この二つが同時期に重なったことにより、プロレスはインチキで総合格闘技こそ本物というパラダイムシフトが起きて、PRIDEやK−1などへファンは移っていきました」(プロレスライター)

 いわゆる“プロレス冬の時代”の到来である。

 そんな中で、旧来のプロレスファンの心のよりどころとなったのが、’00年5月に東京ドームでホイス・グレイシーを破った桜庭和志であった。
「PRIDEの会場にプロレスファンが目立ち始めてはいましたが、この勝利によって一気にブームが過熱しました」(同)

 そして、桜庭が歴史的大勝利を上げた同じリングで、これに引けを取らない快挙を成し遂げたのが藤田和之である。

 総合格闘技進出から2戦目となる藤田の対戦相手は、当時“霊長類最強”といわれたマーク・ケアー(総合格闘技12戦無敗、無効試合1)。1年前には髙田延彦を一蹴していた。そんなケアーを相手に、藤田は終始攻勢をもって3R判定勝ちを収めたのだ。

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