梶原景時の仇討ち!鎌倉時代「建仁の乱」で活躍した女武者「坂額御前」の武勇伝(下) (5/6ページ)
菊池容斎『前賢故実』より、浅利與一義遠。江戸時代後期
「越後の女傑ですが、あれをそれがしに下さらぬか。妻にしとう存じます」
それを聞いた頼家公は、訝しがって訊ねます。
「あれは天下の大罪人(無双の朝敵)ぞ。それを求めるとは、その方、謀叛でも企んでおるのか」
睨みつける頼家公に、與一は笑って答えます。
「いえいえ、あれだけの女傑ですから、男子(おのこ)をたくさん産ませ、幕府のお役に立つ豪傑に育てたいのです」
そう聞いて頼家公は苦笑します。
「あやつは美人じゃが、気性の荒きゆえ他に欲しがる者もおらんじゃろう……よし、くれてやるから連れてゆけ。それにしても物好きじゃのう」
【原文】「件の女(坂額御前)面貌よろしきに似たりといへども、心の武(たけ)きを思へば、誰か愛念あらんや。しかるに義遠が所存、すでに人間の好むところにあらざる由、しきりに嘲弄せしめたまふ……」
※『吾妻鏡』建仁元年6月29日条
歌川豊国「與一妻はんがく」嘉永五1852年。武勇は婚前の姿と推測。