池山隆寛が今明かす秘話「恩師・野村監督とプロ野球黄金時代」 (2/3ページ)

日刊大衆

最近、当時使っていたノートを引っ張り出してみたんですが、数えてみたらA4判のノートで500ページ近くもありましたよ(笑)。

 当時はプライドもあって素直に聞けない部分もありましたけど、今思えば、すごくタメになった。“野村の考え”は、現役を辞めて指導者になってから生きてきましたね。

 19年の現役生活のうち9年間、野村監督の下で野球をやりましたから、影響を受けているのは間違いない。野球論や知識は、大きな財産になっています。

 だから引退した後、楽天の監督に就任することになった野村さんから、“バッティングコーチをやってみないか”と声をかけてもらったときは、うれしかったですよ。野村さんの野球は、ひと言で言えば「準備野球」。ミーティングとデータを駆使して、“どうすれば勝てるのか”をチームで徹底することでした。それまでの野球観は一変しましたね。

 ただ、バッティングに関しては、野村監督から「ブンブン丸を封印しろ」と直接、言われたことはなかった。マスコミには言っていたみたいなんで、あれは監督なりのリップサービスだったんじゃないかな(笑)。

■「野村さんは直接怒らない、その代わり聞こえるような大きな声でボヤく」

 野村さんは、僕や広澤(克実)さんを直接怒らないんですよ。その代わり、「ああいうバッティングをマネしたらあかんぞ」なんて、他の選手に向かって、僕らに聞こえるような大きな声でボヤく(笑)。間接的にグチグチ言われるわけです。でも振り返ってみると、野村さんなりに、僕らに気を遣ってくれていたのかもしれませんね。 

 逆に、面と向かって褒められたのもたった一度だけ。97年の巨人戦で、9回表に決勝ホームランを打ったことがあったんですが、翌日、練習を終えたとき、野村監督に「おい」と声をかけられて、「昨日はよう打ったな」とひと言。褒められたのは結局、これが最初で最後でした。

--野村ヤクルトの最大のライバルとして立ちはだかったのは、長嶋茂雄監督率いる巨人軍だ。

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