池山隆寛が今明かす秘話「恩師・野村監督とプロ野球黄金時代」 (1/3ページ)

日刊大衆

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 1990年代のセ・リーグで黄金時代を築いたヤクルトスワローズ。その中心選手として活躍したのが、池山隆寛氏だ。今回は、球史に残るスタープレーヤーでもあった池山氏に、当時の球界の思い出を語ってもらった。まずは、弱小だったヤクルトを日本一4回という強豪チームへとのし上げた名将·野村克也氏について。池山氏にとって、どんな存在だったのだろう。

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いけやま・たかひろ/1965年兵庫県生まれ。1983年、ヤクルトに入団すると、走攻守三拍子そろった遊撃手として活躍。豪快なフルスイングから“ブンブン丸”の愛称で呼ばれ、野村監督の下、日本一に4度輝いた「ヤクルト黄金期」を支えた。2002年の引退後は、楽天やヤクルトでコーチを歴任。

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池山隆寛(以下、池山)  野村さんが監督に就任したのは、僕の7年目のシーズンでした。ユマキャンプでの初めてのミーティング。監督はいったい、どんな野球の話をするんだろうと思っていたら、第一声が「一番大切なことはジジュンである」。初めて聞く言葉で、もう意味が分からないわけです。

 すると、監督は「耳順(じじゅん)」という字を大きく書いて、「論語の中に『六十にして耳順(みみしたが)う』という言葉がある。孔子は60歳のとき、誰の言葉でも素直に受け入れられるようになったそうだ。だから君たちも私の話をよく聞くように」と、説明してくれた。

 それがすべての始まりで、そこから「仕事の三大要素とは」みたいな話に続いていきました。それまでのミーティングといえば、サインプレーや作戦の話でしたから驚きましたね。

 プロ野球選手は辞めてからのほうが人生長い! だから社会人としての常識を身につけるべきだと、監督はよく話していました。

「監督がホワイトボードに板書したことを書き写すように」と、あらかじめ言われていたので、ミーティングではとにかく必死でメモを取りました。

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