巨人への離縁状と生卵事件も! 長嶋茂雄と王貞治「魂の名勝負秘話」 (4/6ページ)

日刊大衆

松本は、“バットから指が離れなくなって、はがしてもらった”という壮絶な体験をしました」(同)

 伊東キャンプを経て確実にチームは底上げされ、翌年シーズンは3位に浮上した巨人。手応えを感じた長嶋が、「今年もやる」と意気込んだが、球団からはストップがかかった。「ミスターは“だったら、ポケットマネーでやる”と言いだして、堀江マネージャーに費用を調べさせていました。それくらい、やる気だったんです」(当時の球団関係者)

 長嶋が次に巨人の監督に返り咲いたのは、13年後の年だった。そのとき長嶋が見せた奇跡が、球史に名高い【メークドラマ】だ。巨人、中日とも69勝60敗と、まったくの同率で迎えた10月8日の試合。勝ったチームがペナント優勝というのは、実に四半世紀ぶりの珍事だった。大舞台に燃える長嶋は、「国民的行事」とファンを煽った。「巨人は7月16日の時点で、首位中日に11.5ゲームつけられていたが、ミスターは、“絶対に追いつける”とチームを鼓舞し続けました。最初は選手も、“バカな”とシラケムードだったんですが、連勝が続いたんで、その気になったんです。超ポジティブ思考のミスターが、チーム全体を暗示にかけて起こした奇跡だと言えますね」(前同)

 当日は警備員が増員され、1000人近くのファンが徹夜で並んだ。決戦の当日、ミスターと昼食をともにしたという関係者に話が聞けた。「11時頃、急に連絡があって、ホテルの中華料理店で昼食を取ることになりました。立教大時代の失敗談をおもしろおかしく話してくれましたが、試合の話はゼロでしたね」

 試合前は選手を前に、「今日は必ず勝つ」とひと言。長嶋は“オンとオフ”の切り替えも超一流だった。

■弱小ダイエーを常勝軍団に

 王も、監督として苦難と栄光のドラマを持つ。その象徴が、【巨人への離縁状と生卵事件】だろう。年9月29日、ペナント4試合を残しながら、巨人は王の監督任期満了に伴う退団を発表、王は面子を潰されてしまう。王がダイエーの監督に就任し、再びユニフォームに袖を通したのは、95年のことだった。このとき王は巨人関係者に、こう漏らしている。「ダイエーはパ・リーグだから、巨人と戦わないだろ。

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