巨人への離縁状と生卵事件も! 長嶋茂雄と王貞治「魂の名勝負秘話」 (5/6ページ)

日刊大衆

それに、福岡は東京から一番遠いからいいね……」

 事実上の“巨人への離縁状”である。しかし、監督を引き受けた当時のダイエーは “お荷物球団”。王の就任後も低迷が続く……。「君たちは……君たちは、悔しくないのか!」

 敗戦後のミーティングで、テーブルを叩きすぎて、王の拳には血がにじんだこともあったという。この頃、起きたのが“生卵事件”だ。年5月9日、日生球場96で行われた近鉄戦の帰りのバスに、怒ったファンが生卵を次々にぶつけたのだ。「さすがにあのときは、こんなことをされるために福岡に来たんじゃないと思ったよ。悔しかった……。でも、あの一件以来、意識が変わった。巨人時代と違って、ある程度負けを覚悟して戦えばいいんだと。それで選手への接し方も変えることができた」

 それまで王は、巨人出身者をコーチに招かなかったが、98年からV9の同僚である黒江修透氏をヘッドコーチに迎え入れる。「王さんは雲の上の人すぎて、選手の耳に考えが届かない部分があった。で、ズケズケ言う俺が呼ばれたんだ。王さんは、“黒江のいうことはオレの言葉だ”と言ってくれたんで、やりやすかったよ」(黒江氏)

 フロントも王を支え、有力選手を次々補強。役者がそろい、99年に日本一に輝く。その日、王が流したうれし涙には、万感の思いが込められていた。

 “弱小ダイエーを常勝軍団に変える”という最大の試練をクリアした王だが、長嶋にとっての最大の試練は脳梗塞だった。続いては、その【壮絶リハビリと北京五輪】の舞台裏を紹介したい。04年3月4日、脳梗塞で東京女子医大に緊急搬送された時点で、長嶋の意識はなかったという。退院後のリハビリは、医療関係者の間で語り継がれるほど、壮絶なものだった。「リハビリで快復し、北京五輪の監督をするという目標があったんです」(前出の球界関係者)

 脳梗塞に倒れたため、長嶋はアテネ五輪の監督を途中降板せざるをえなかった。無類の五輪好きとして知られる長嶋のこと、さぞかし無念だったはずだ。

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