一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【二】 (6/6ページ)
さもなくば戦闘再開だ!何なら日本全国を相手にしてもいいんだぞ!」と息巻いており、長州藩は「ない袖は振れません。日本が滅ぶならその時は(賠償金を支払わなかった)幕府のせいですからね~」とばかりに開き直ってしまったため、幕府は断腸の思いで賠償金を工面したのでした。
徳川幕府の威信にかけて、長州征伐に臨む一橋慶喜。「日本外史之内」より。
(おのれ長州藩のヤツらめ、朝敵の分際で……!)
幕府はかねてより進めていた長州征伐の計画を着々と進める一方で、経幹らの心労はますます重なっていくのでした。
【続く】
※参考文献:
児玉幸多・北島正元 監修『藩史総覧』新人物往来社、1977年
中嶋繁雄『大名の日本地図』文春新書、2003年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
笠谷和比古『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』講談社学術文庫、1994年
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