平安アーティストの頂上決戦!日本史上最古の画家・百済河成vs飛騨工のエピソードを紹介 (4/5ページ)
もしそうなら、河成の絵がいかにリアルであったかを物語るようです。
これは実に見事な意趣返し。飛騨工は感心して帰途についたのでした。
現代に伝わる名古曽滝ちなみに河成は造園にも心得があり、嵯峨院の造営に際して滝殿の石組みも造り上げました。
この滝は名古曽(なこそ)滝と呼ばれましたが、平安中期には涸れてしまったそうです。
が、名古曽滝は永く愛され続け、その美しさを詠んだ有名な和歌が現代に伝わっています。
滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞えけれ
「小倉百人一首」でも有名なこの和歌を詠んだのは大納言公任(だいなごん きんとう)の名で知られる藤原公任です。
【意訳】滝の水が涸れて、その音も聞こえなくなって久しい。しかしこの美しい滝を造った河成の名声は、今も聞こえ続けている。
「な」こそ「な」がれて「な」ほきこえけれ、という音の軽妙なつながりがいいですね。
この名古曽滝は千年以上の歳月を経た大正11年(1922年)に国の名勝「大沢池 附 名古曽の滝跡」として指定されました。