日本史上で最大級の反乱と言えば、平安時代の天慶3年(940年)、関東地方に覇を唱えて「新皇(しんのう)」を自称した平将門(たいらの まさかど)。
他にも朝廷に対して大規模な反乱を起こした者はいるものの、自分が天皇に成り代わる「新しい天皇」すなわち新皇と称した例は、後にも先にもこれ限りです。
さて、そんな大事件が東国で起こっているほぼ同時期に、西国でも藤原純友(ふじわらの すみとも)が、瀬戸内海を股にかける大反乱を起こしています。
両者を合わせて「将門・純友の乱」あるいは年号から「承平天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱」とも呼ばれますが、平将門はともかく藤原純友についてはあまり知られていない印象です。
(※もしかしたら、それは東国に住んでいる感覚であって、もしかしたら、西国在住の方から見れば逆に感じるのかも知れませんね)
そこで今回は、平安時代の日本を大いに震撼せしめた西国の大海賊・藤原純友について紹介したいと思います。
名門の生まれだが、出世競争からドロップアウト藤原純友の生年については諸説ありますが、ここでは寛平5年(893年)、摂関家として栄華を極めた藤原北家(ふじわらほっけ)の末裔・藤原良範(よしのり)の三男として生まれました。