尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【下】

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尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【下】

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尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【上】

時は幕末・元治2年(1865年)2月、同志を募る使命を帯びて長州藩(現:山口県西部)を発った志士4名。

一、岡元太郎敦(おか もとたろうあつし)
一、井原応輔徳道(いはら おうすけのりみち)
一、島浪間義親(しま なみまよしちか)
一、千屋金策孝成(ちや きんさくたかしげ)

使命を胸に長州藩を発った4志士(イメージ)。

御家の存亡を賭けた使命を胸に東へ進んだ4名は、勝田郡百々村(現:岡山県久米郡美咲町)にある造り酒屋・池上屋文左衛門(いけがみや ぶんざゑもん)に資金援助を申し出ます。

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