1583年(天正11年)3月、柴田勝家(山口馬木也)は約3万の軍勢を率いて近江国柳ヶ瀬に布陣します。
一方、伊勢の滝川一益(猪塚健太)を攻めていた羽柴秀吉(池松壮亮)はこの動きを見て、約5万の兵力を率いて近江木之本に布陣し、柴田勢と対峙しました。世にいう賤ヶ岳の戦いです。
賤ヶ岳の戦いは最終的に秀吉が勝利し、敗れた勝家は戦いのわずか2日後、居城の北ノ庄城で夫人のお市(宮崎あおい)とともに自害しました。
賤ヶ岳の戦いの勝敗を分けた理由としては、秀吉による美濃大返しや、前田利家の戦線離脱などが挙げられます。
しかし近年では、秀吉が木之本へ帰陣するまで羽柴秀長(仲野太賀)が田上山砦を守り抜いたことも、大きな要因の一つとして注目されています。
今回は「秀長は逃げない」という論点から、『豊臣兄弟!』第32回「賤ヶ岳の決闘」を振り返ってみましょう。