【豊臣兄弟!】秀長は逃げない!史実が明かす、賤ヶ岳の勝敗を分けた「守りの名将」の真骨頂 (3/10ページ)

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中川清秀の悲劇。ドラマと史実の大きな違い

1583年(天正11年)4月はじめ、一度は秀吉に降伏していた織田信孝(結木滉星)が再び挙兵すると、秀吉は多くの兵を率いて美濃へ向かい、大垣城に入ります。その間、賤ヶ岳の戦線は、田上山砦に陣取る秀長に任されました

4月21日、残された羽柴勢が少数であることを知ると、柴田方の佐久間盛政(遠藤雄弥)は中川清秀(すがおゆうじ)が守る大岩山砦を急襲。鬼瀬兵衛と称された猛将・清秀は討死してしまいます。

中川清秀を討ち取る前田利家。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

この大岩山砦の陥落について、『豊臣兄弟!』では、清秀がいち早く寝返ったとし、柴田勢敗走後に前田利家(大東駿介)によって殺害されたことになっていました。

史実では、清秀は最後まで大岩山砦で戦って討死しており、ドラマの描写とは大きく異なります。

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