【豊臣兄弟!】秀長は逃げない!史実が明かす、賤ヶ岳の勝敗を分けた「守りの名将」の真骨頂 (8/10ページ)
田上山砦で奮戦する羽柴秀長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
正直なところ、秀長がいつ頃から実戦で活躍したのかは定かではありません。ただし、1570年(元亀元年)の金ヶ崎の戦いでは、信長本隊の退却を助けるため殿軍を務めた秀吉らの撤退戦を最後方で支えたとする見方もあります。
平井山の戦いもさることながら、田上山砦での防衛戦でも、秀吉の美濃大返しまで秀長勢はよく守り抜きました。
戦国時代はいったん逃げ始めると、まるで雪崩のように軍勢が崩れていくことがあります。その理由の一つは、戦国大名の軍団が、現代のような一枚岩の組織ではなかったことです。
たとえ戦国大名が100万石の所領を有していたとしても、そのすべてを大名が直接支配しているわけではありません。家臣たちに所領を与え、それぞれが兵を率いて主君に従うという構造のため、直轄領はそれほど多くはなかったのです。
しかも、領土拡大にともなって加わった外様や新参の家臣も多く、一度軍勢が崩れ始めると、離反や逃亡が連鎖することもありました。