【豊臣兄弟!】秀長は逃げない!史実が明かす、賤ヶ岳の勝敗を分けた「守りの名将」の真骨頂 (9/10ページ)
一度ほころびが生じるやいなや、あれほどの栄華を誇った朝倉家も浅井家も武田家も、そして柴田勝家さえも、短期間のうちに滅亡へ追い込まれてしまいました。
それが戦国大名と、その軍団構造が抱えていた弱点の一つだったのです。
豊臣秀長というと、秀吉が天下人となった後、豊臣家を支える宰相として外交や所領統治の分野で活躍した姿に目が行きがちです。
しかし秀長は、「逃げない」という戦国武将にとって最も重要な資質を備えた武人でもありました。
秀吉はこの秀長の能力を認め、自分の名代として大軍の総大将を命じたり、自らの留守を一任したりしています。
「秀長は逃げない」。
強敵を前にしてもしっかり陣を守り、味方の崩壊を防ぎ、最後まで戦線を維持する。やはり秀長は戦国時代になくてはならない、文武両道に卓越した人物だったと言ってよいでしょう。