あのコもヤンキーだった!? 80年代アイドルたちのツッパリ列伝 (4/6ページ)

日刊大衆

82年、家出少女が歌舞伎町のディスコで知り合った男から「一緒にドライブに行こう」と誘われ 、クルマに乗り込んで行方不明となり、翌日に絞殺死体として発見された今もって未解決の殺人事件である。そのイメージに、誰もがふりかえる美少女ながら、どこかさびしげな影のある明菜のイメージがハマりにハマって、『セカンド・ラブ』『飾りじゃないのよ涙は』とヤンキー路線をつっぱしった。

明菜のバックボーンをさぐっても不良少女だった過去はない。東京の辺境ともいえる清瀬市で育ち、家庭は金銭的に恵まれているとはいえなかったが、小学校からバレエを習うなど非行とはほど遠い環境で育っている。
デビュー当初は――その後のイメージからは想像つかないかもしれないほど――ふっくらとして健康的ですらある。だが校内暴力が吹き荒れ、深夜のゲームセンターやディスコに不良少年や家出少女がたむろした時代に、「影」どころか孤独な「闇」を感じさせる明菜は行き場のない少女の想いを代弁するミューズとなった。松田聖子が「陽」なら、中森明菜は「陰」。80年代前半、誰もかなわなかった女王・聖子と肩をならべられたのは明菜だけだろう。


しかし89年、交際中のマッチの自宅マンションで起こした自殺未遂騒動から転落がはじまる。骨折でのドラマ降板や損害額1億円ともいわれるディナーショー中止などスキャンダルがあいつぎ、摂食障害で激ヤセ、家族とも絶縁、ついには公の舞台には姿を見せなくなり……と、大映ドラマを地で行くような壮絶な不幸っぷりは、今やいつもはエゲない情勢週刊誌さえネタにできないレベルに達してる。それでもまだまだ人気は根強く、昨年リリースしたベストアルバムはCDセールスが低迷するなか、売り上げ25万枚を突破! 待望論をうけて年末の紅白歌合戦にもニューヨークからの生中継で復活をはたしたのだった。

はたしたのだった、が……。
「みなさんにすこしでも……あたたかさ……とどけばいいなと……おもいます……」
ボリュームをマックスにしないと聞きとれない放送事故レベルのウィスパーボイスで、年の瀬のお茶の間を凍りつかせた明菜。無理に背負わされた不良少女のイメージは、もはや明菜の宿命なのか……。

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