【クルマを学ぶ】大気汚染の王様「トラバント」の悲劇的な運命 (2/4ページ)
600ccクラスの空冷2ストロークエンジンを搭載した、重量600キロ超の車体。その素材はFRP(繊維強化プラスチック)だ。このクルマが登場した1957年当時としては、決して悪くはない仕様である。
「ブレーキは全期間を通して4輪ドラムブレーキであったが、明らかに性能不足であった」とされているが、50年代後半の大衆車はドラムブレーキが水準的な装備であった。『トラバント』の1年後に販売が開始されたスバル360も、このブレーキを採用している。
それよりもFRPを自動車に使ったという点は、世界最先端の発想だった。「鋼材を惜しんだせいで耐久性が犠牲になった」という指摘もあるが、それは「敢えてFRPを使った挑戦的な設計」という言葉に置き換えられないだろうか?
もっとも、このFRPがのちに『トラバント』の低評価に直結するのだが、それでも当時の東ドイツの技術者が下した選択を、何から何まで“安上がりな手抜き仕事”と見なしてしまうのはいかがなものだろうか。
50年代後半、すなわちソ連の書記長がニキータ・フルシチョフだった時代は、東側陣営もクオリティーの高い工業製品を生産していた。現にソビエトカメラのファンの間では、フルシチョフ時代に製造されたものが、最も使用に耐えられるという共通認識がある。自動車もその例に漏れない。
『トラバント』は、“かつて強かった社会主義陣営”の象徴でもあるのだ。
■ 執政者の贅沢三昧
エーリッヒ・ホーネッカーは、東ドイツを率いた、ヒトラーとは真逆のタイプの独裁者である。
ヒトラーは“自分の理想”、というより妄想を何が何でも具現化しようとした。そのために数え切れないほどの罪のない市民を殺した。だがホーネッカーの場合は、自分が政権につく前から決められていた“教条や規則”を完璧にこなそうとした結果、むしろ市民を恐怖に追いやってしまった。
ホーネッカーが東ドイツの全ての政治権力を掌握した1976年、すでに東側諸国の経済は疲弊していた。アメリカ傘下の自由主義陣営の経済成長が一段落すると、待っていたのは社会主義陣営の、経済基盤の老朽化だった。