【東日本大震災】大川小学校の"悲劇"は現地視察で明らかになるか (3/5ページ)

東京ブレイキングニュース

 高宮裁判長らはまず校舎内に入り、地震が起きた時に児童らがいた教室を見て回った。天井を見ている様子もあったが、教室内の天井は津波の勢いによって、持ち上がっている箇所がある。そのため、津波の勢いがイメージできるようになっている。2階からは津波が遡上した新北上川や富士川が見える。その様子を指摘した原告側に対して、被告の市側は「当時はほかの建物があり、視界が良くなかった」旨の反論をしたという。

 児童たちは震災当時、校庭に約50分間とどまった。その後、新北上大橋のふもと付近、いわゆる三角地帯と呼ばれる高台に避難する途中で津波にのまれたと言われている。原告側は三角地帯はむしろ、津波に近づいてしまうことを指摘している。その上で、当日はスクールバスが待機していたことを含めて、避難できるはずの3つのルートを提示している。その3つのルートについて、高宮裁判長らは原告側と被告側の双方からの説明を受けていた。

 原告側が示している3つのルートは、Aルートとして、体育館よりの裏山がある。ここはしいたけ栽培をしていた場所であり、その場所で遊んでいる児童もいたと言われている。もっとも避難できやすい場所として、避難できた可能性がもっとも高い場所ではないかと言われていた。高宮裁判長は革靴のまま登った。原告側の弁護団が長くつを用意していたというが、裁判長は履き替えなかった。このとき、被告側から、11月5日時点では成人男性の膝上から腰あたりまでの高さまで草に覆われていた、と反論。現状を変更したにクレームをつけた、という。

 Bルートは、当時神社があった裏山で、生存した児童らが焚き火をして一夜を明かしたとされる竹やぶだ。このBルートは、現在は登り口が急だが、遺族によると、震災後に遺体捜索のために削り取ったためで、震災以前はゆるやかで登りやすかった、という。このルートにも高宮裁判長らは登った。

 Cルートは、フェンス脇からコンクリートのたたきを登るところだ。このあたりも児童や授業中に登っている。その様子が校長が撮影した写真に収められている。このCルートでは、フェンスをやや登ったところまで行ったが、Bルートの延長上にCルートがあるためにイメージができるからか、高宮裁判長らは登らなかった。

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