【東日本大震災】大川小学校の"悲劇"は現地視察で明らかになるか (1/5ページ)

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【東日本大震災】大川小学校の"悲劇"は現地視察で明らかになるか
【東日本大震災】大川小学校の"悲劇"は現地視察で明らかになるか

「先生、山さ、逃げっぺ。こんなところにいると、死んでしまうべ」。

 東日本大震災の当日、大津波警報が鳴る中で、宮城県石巻市の大川小学校の児童がそう言っていたとの証言がある。しかし、山に逃げることなく、校庭に51分間、待機していた。そして津波がくる数分前に避難行動を開始したが、児童や教職員は津波にのまれ、児童や教職員は死亡または行方不明となった。

 この児童の遺族のうち、19遺族23人が、「地震発生時の危機管理マニュアル」の整備が不十分など、安全配慮義務を果たさなかったためなどとして、県と市を相手にした損害賠償訴訟を仙台地裁(高宮健二裁判長)で起こしている。その関連で11月13日、現地視察が行われた。原告の遺族たちは「避難でき、救える命だったことが体感できたのではないか」と口を揃えた。

●現地視察には裁判長や原告側、被告側が参加

 現地視察は高宮裁判長や原告側、被告側が参加。非公開の進行協議の位置付けて行われた。報道陣は裁判所側から「(裁判長や原告、被告から)20メートル離れるように」と指示された。そのため、具体的なやりとりが聞き取れなかった。

 原告側は、14年5月19日の第一回の口頭弁論で、「3月11日に現場検証をすること」を求めていた。今回の現地視察は、日にちこそ違うものの、この求めに応じて行われた。裁判所が現地視察を行うことは異例だ。

 大川小は、追波湾にそそぐ新北上川の河口から約4キロほどの右岸、釜谷地区にある。全校児童は108人。このうち、74人の児童が亡くなった。また4人が行方不明のままだ。また津波にのまれながらも児童は4人助かった。教職員は10人が亡くなったが、当日休みを取っていた校長と、一人の教員が助かっている。

 市教委は震災後の5月に事故報告書をまとめた。聞き取り調査対象者28人のうち子どもが25人だった。しかし、市教委は聴取の際、録音をせず、証言メモも報告書作成後に破棄していたことを河北新報がスクープした。市教委では「心理的負担をかけない」ために録音や録画は行わなかったと同紙の取材に答えている。このとき、「山に逃げたほうがいい」という教頭と、「津波がここまでくるはずがない」という住民が言い争いをしていたと児童2人が証言したことになっている。

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