82歳筆者が考える、「子どものスマートフォン利用」...私的コミュニケーション変遷史より (3/7ページ)

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しかし、現実には、専ら陸軍を主流とする主戦派の意見に押し切られ、帝国海軍連合艦隊司令長官を務め、南方方面作戦に従事していた。

山本五十六大将の戦死は1ヶ月以上秘匿され、5月21日の大本営発表ならびに内閣告示第8号[314]で公になった[315]。山本に対し大勲位、功一級、正三位と元帥の称号が贈られ、皇族以外では希有な国葬に付することが発表された。新聞は連日報道を行い、日本国民は大きな衝撃を受けた。

こうした状況は、いわゆる少国民である筆者のような国民学校の生徒たちにも全く同じような感情を派生させ、学校では国葬に対応して、全校生徒1000人以上全員が校庭に集合して追悼式を行った。

この際に、予め選出され、指名された数人に、山本元帥を追悼する作文を書いて提出することが求められた。そして、その中から多分、二、三篇だけが全校生徒の前で執筆者本人により朗読、発表されることとなり、どういう訳か(文章を書くことは比較的好きであり、作文は得意ではあったが)当時国民学校四年生であった筆者の作文がトップに発表されることになった。
どんなことを書いたか?今となっては定かでは無いが、基本的な内容は、我が国の優秀な海軍司令長官が、お国のために尊い生命を捧げ、国に尽くした真心を褒め称えると共に、それに続く我ら少国民も決して恐れること無く、鬼畜米英を殲滅し、最後までお国のために滅私奉公せねばならない、という趣旨であったに違いない。元々それにそぐわないことなぞ当時の状況では浮かぶ筈も無いし、万一そうした気概に欠ける文章だったら、当然、事前チェックの際の先生の手が入ったであろうことは間違い無い。

その後、戦局は悪化するばかりで、連合国の包囲網は狭まり、敵機による我が国内地の大都会に対する空襲の危険が増大したため、国は「疎開」という法令を発した。すなわち、軍の作戦を遂行するに際し、障害(邪魔)となる建造物などは強制的に取り壊すこと(建物疎開)や軍需工場に徴用して働かせるには幼すぎる国民学校(今の小学校)第3学年から第6学年までの生徒を、学校単位で地方に移住させ、空襲による被害を回避しながら、集団生活により学校教育を継続する(集団疎開)ことにした。

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