83歳筆者の〈極私的鑑賞ノート〉(1)...戦中・敗戦直後の思い出の映画たち (2/7ページ)

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本家がこんな状態で女子供だけの所帯だったため、旧家であったこともあり、後見人の役割を果たす者が求められる状況で、結局その役目を負ったのが、この家から出た三男(次男は中学生時代に夭逝)である筆者の父であった。父は当時、東京の歯科医学専門学校の教授を務めていたので、夏休みなどが普通のサラリーマンより長かったりして、ちょくちょく里帰りするには都合がよかった。そして私の父は、よく自分の子どもたちを外に連れ出した。特に、長男であった筆者は可成り幼い頃から父のお供をする機会が多かった。

筆者の記憶では、戦争が激しくなる前は、小学生の極低学年の時から毎夏休みは殆ど、この紀南半農半漁の小村に所在する、専ら林業を生業とする本家で、従兄弟達家族と過ごしていた。しかも、大体は私を連れて来た父は途中で一旦帰京し、夏休みの終わり頃に再び筆者を迎えに来るという状況であったから、その間2ヶ月くらいの期間は伯母の家族たちだけと一緒に暮らすことになった。

毎日、大広間で机を並べて宿題を早々に片付け、後は専ら海へ出掛けて泳ぐか、魚釣りをして過ごした。そんな或る日のこと、従姉たちに、今夜小学校の広場で映画上映会があるから、観に行こうと誘われ、晩ご飯を早々に済ませて、半里(2 km)ほど離れた小学校の校庭まで涼しくなった夜道を歩きながら、その夜、上映される映画について予め教えられた、というより「とても怖い映画で、夜寝られなくなっちゃうよ」と散々脅されたが、その映画の題名は「四谷怪談」で、お岩さんと言う怖いお化けが出るという。そんなものに興味は無かったが、涼み方々珍しい上映会場に出掛けることには興味があった。実を言うと、この映画についての記憶は全く無い。製作会社が何処で、どんな俳優が出ていたのか?そしてその内容に、本当に怖い、と感じたのかどうかすら、思い出すことが出来ず、ただ話の巧みな従姉たちが「本当に怖い映画なんだよ」と繰り返していたことだけ記憶している。

これが、物心ついてから観た最初の映画だったかも知れない。だが、それより、この上映会場となった、夜の小学校の校庭に大きな白い幕を張って上映するスタイルは、小学生の頃筆者が居住していた池袋駅から徒歩で15分乃至20分位入った住宅街の中にあり、筆者も通っていた小学校でも行われることがあった。

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