83歳筆者の〈極私的鑑賞ノート〉(1)...戦中・敗戦直後の思い出の映画たち (4/7ページ)
視覚的作品に併用された聴覚的、特に音楽の効果、影響は場合によると、その映画や演劇作品そのものの出来映えや筆者の評価に、それこそ決定的な影響を与える場合すらある。
また、映画や演劇に使われていた音楽を聴いて、その作曲家やその人の作品を気に入り、そこからレコードや音楽会の鑑賞にまで至ったケースも少なく無い。
それらの音楽には、クラシック音楽もあり、映画のテーマ曲、いわゆる映画音楽と呼ばれるイージーリスニングなど多岐に亘る。
時代を絞って行くと、筆者が中学校に入学した頃だから、敗戦直後、昭和20年代の初め頃、ようやく戦時体制から脱し、その結果我が国が当時置かれていた状況からして、専ら圧倒的に米国の影響が他と比較にならぬほど強烈だったわけで、その所為ばかりでは無いだろうが、筆者が鑑賞するのは自身の好みもあって、映画は矢張り邦画では無く、洋画が圧倒的に多かった。
輸入され、上映される映画の数から言えば、米国映画が圧倒的に優勢であった。だから、絶対数で言えば、筆者の観た外国映画の数では米国が1位となるだろうが、好みから言えば、フランス映画に軍配が上がり、その次は一時期流行ったイタリア映画、その他ギリシャ、トルコ等数少ないながら輸入された問題作などもあった。
それでも、邦画では後に評判となった「安城家の舞踏会」というモノクロ映画を観た記憶はある。ただ、70年も前の話となると、そのあらすじすら覚えが無く、また映画の内容も当時余り理解出来なかった、と思う。ただ、連れて行ってくれたのは、その頃には紀南の小村から、子どもたちの教育のため、一家揃って東京へ移住し、我が家から20分位の所に居を構えた本家の伯母と従姉たちだったことだけはよく覚えている。
映画について、当時強烈な印象を受けたのは、それまでは映画といえばモノクロ、つまり白黒映画というのが常識であったが、全編に亘り天然色に彩色された、いわゆるカラー映画が、初めて日本国内に、時期的に多少前後はあったかも知れぬが、ソ連(当時)と米国から入って来た。それらはソ連の総天然色映画「石の花」と米国のテクニカラーと呼ばれたカラー映画「ステート・フェア」であり、筆者はその両者を観た。