83歳筆者の〈極私的鑑賞ノート〉(1)...戦中・敗戦直後の思い出の映画たち (5/7ページ)
「ステート・フェア」*は米国の或る農業州の華やかな祭りを紹介するのがメインで、若い男女のラブストリーなどもあったかも知れない。昔の記憶だから曖昧であるのは仕方ないが、如何にもアメリカらしい色鮮やかなカラー映画であった印象が強かっただけで、他のことで覚えているのは、この映画には字幕スーパーが付されていなかったこと、かと言って「吹き替え」でも無かった、と記憶する。(もしかすると、簡単な日本語のナレーション位はあったかも知れない。)
映画は、当時の日本から観れば、リッチなシーンが次々と鮮やかな(些か派手すぎる)色彩で表現されて居て、専ら英語のみで進行したから、話の筋など問題外で、只ただその物質的豊かさに圧倒されるのみであった。
*(注)インターネット検索では、テクニカラー色彩の1945年作品で、あらすじは「アメリカ中西部のある田舎でのこと。フレイク夫妻は息子も娘も大きくなったし、主人のエイベルは年一回の州主催の共進会で養豚の一等賞を、妻のメリッサは漬け物で一等を取るのが望みである」とある。
その時代は、我々中学校にも制服はあったものの、生地が不足して(というより全く入手不可能で)、まともな制服を着ている生徒など一人も居なかった。みんな闇市あたりから流れてくる陸海軍の中古軍服を、母や祖母たちに縮めて、縫い直して貰ったものを着用するような時代であったことを想像して頂く必要がある。
一方、「石の花」*は確かロシアの古い民話か伝説を映画化したもので、当時の中学低学年の男の子の興味を引くような話では無かったように記憶する。ただ割合落ち着いた色調で映像としての印象は悪くなかったが、率直に言って、当時「へぇ!ソ連のように野蛮な国でもこんな映画が作れるのだ」と思ったことを正直に述べて置こう。
それは世の中が落ち着き始めて居たとは言え、当時未だに、戦争の悪夢、戦争の被害、悲劇に纏わる話題にも事欠かない状況であったことに思いを巡らさねばならない。
*(注)インターネット検索では、原作はソ連の民話作家 P.バジョーフがウラル地方の民話を採集して発表した『くじゃく石の小箱』 Malakhitovaya shkatulka (1939) 中の一編とある。