田中角栄 日本が酔いしれた親分力(22)周りを取り込む温かな人柄 (1/2ページ)
何より人を愛し、人に愛された男だった──あまたいる政治家の中でも、田中角栄が特別である理由はここにある。「ロッキード事件」をきっかけに、その運命は大きく変わることとなったが、田中が世に遺したエピソードや言葉は、今なお人々の心を熱く揺さぶり続けている!
田中角栄がいまだ人々に愛されているのは、ひとえに情の人であったことだ。
1963年(昭和38年)の暮れ、当時大蔵省主税局税制第一課長の山下元利は、田中角栄大蔵大臣のいる大臣室に向かっていた。
山下元利の表情は暗かった。まるで処刑場に引かれていくような心境であり、胸には辞表を入れていた。
山下が責任者となって、翌年度の所得税法の改正案がまとめあげられ、その閣議決定も無事に済み、国会に提出されていた。ところが、改正案の内容の中でも、最も肝心な税率表の数字がまちがっていたのだ。
原因は、コンピュータの取り扱いミスであった。山下は、胸の潰れるような思いを抱えていた。
〈原因は何であれ、取りかえしのつかない失敗をしてしまった〉
山下は、主税局長の泉美之松に報告し、善後策を講じることにした。泉主税局長も、さすがに深刻な顔になった。
「政府が国会に、ご審議願います、と言って出した法案がまちがっていたわけだから、もし野党が正面切って問題にしてきたら、大変な騒ぎになる。大蔵大臣の責任問題にもなりかねない。とにかく、大臣に謝ることにしよう」
山下は予想していた。
〈激しい人だから、今回のミスについてはさぞ激怒するだろうな〉
山下は、辞表を出す覚悟で、大蔵大臣室に入った。
山下は、身長178センチ、体重90キロ近いという巨体を丸め、恐縮しながら田中にこれまでのいきさつをしゃべり、詫びた。そして、次の瞬間の田中の罵声を覚悟していた。
ところが、田中は、人なつこい眼を細めて笑った。
「なあに、たいした問題じゃないよ。日本のソロバンが、コンピュータのミスを発見した、ということにしておけばいいじゃないか」
山下が辞表提出まで覚悟していた問題は、それで片がついてしまった。