人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第42回 (1/2ページ)

週刊実話

 1期目の幹事長として田中角栄の前に立ちはだかったのは、佐藤栄作首相が沖縄の返還とともに戦後未処理問題として最重要視したもう一つの日本と韓国の国交正常化を審議する臨時国会、すなわち「日韓国会」をどう乗り切るかであった。

 日韓基本条約の調印そのものは、この年(昭和40年)6月22日に日韓両政府の間で行われていた。しかし、これに対し韓国国民の中からはこの条約調印を「屈辱外交」として反発の声が少なくなく、日本国内でも社会党、共産党を中心に「これでは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の存在を否定し、朝鮮半島統一への阻害となる」との反対の空気が強かった。7月、こうした中で日韓条約等関連案件を承認するための臨時国会、「日韓国会」が開かれた。
 この臨時国会では、審議紛糾の中、自民党は単独審議も辞さずの上で採決、条約批准への準備を整えたが、与野党間折衝の余地もあるとしていったんこの臨時国会を閉めることとした。しかし折衝は難航、政府・自民党は10月に改めて臨時国会を開き、ここでの決着にハラをくくったのであった。

 田中幹事長のここでの国会運営ぶりはどうだったか。持ち前の野党へのパイプを駆使、妥協点を探ったが不調、一転ここまでと見定め、強引な手法に転じたのであった。衆院の日韓条約等特別委員会では自民党単独で採決、日韓基本条約を承認、合わせて関係3議案の可決に踏み切った。さらに、衆院本会議でも抵抗する野党を尻目に、本来、行われる特別委の委員長報告も省略、自民党単独で可決成立へ持っていったのだった。
 参院審議もまた同様で、田中幹事長のハッパのもと、本会議では他の野党は欠席ながらようやく民社党を口説いて出席させ、辛うじて自民党単独採決を避けて12月11日、可決成立へ持っていった。この混乱極まった国会は衆院の正・副議長が引責辞任という形で、まずはの収拾を見ることになったのだった。

 この一連の強引な国会運営をした田中の胸中は、どういうものだったのか。秘書だった早坂茂三(後に政治評論家)には、次のように打ち明けたとされる。早坂の著書にある。
 「田中は私に、『衆院における社会党の常識を超えた審議妨害は、もはや議会政治と言えるものではなかった。

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