次々と取引先が倒産…それでも生き残った会社の社長が社員に伝えた言葉とは? (1/3ページ)
どんな会社でも長く続けば、紆余曲折の歴史が生まれるものだ。
バブル経済が終焉を迎え、不況の風が吹き荒れはじめた1995年、まず兵庫銀行が破綻する。1996年には太平洋銀行、阪和銀行が破綻。そして1997年、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が破綻するというこの時代の象徴的な事件が起きる。
多くの企業が危機的状況に陥ったこのとき、スポーツ・カジュアルウェアの輸入卸販売をメインの事業とする株式会社ロイヤルもその例に漏れることはなかった。
顧客だった小売が不況の煽りを受けており、特に大口だったダイエーの業績は急速に悪化。1973年に創業し、順調に成長を重ね、拡大路線を歩んでいたロイヤルの売上高は1997年9月期を天井に落ちていくこととなる。
ロイヤルの創業者であり、当時代表取締役社長を務めていた中根巌氏は自著の中で次のように回想する。
拡大成長志向でしたので、行け行けドンドンで、当然、発注も強気でした。
(中略)
小さな会社ですが、売上高が拡大し、人員が増えていく過程で、権限を委譲し、仕事を任せていくことが多くなっていきました。正直に言えば、私自身が「バカ殿様」になってしまって、「よきにはからえ」状態になっていたことは否定できません。その姿勢が上から下まで伝染し、組織全体が「よきにはからえ」病にかかっていました。
(『本物だけを世界から―――商標権と真贋問題を乗り越えて』P86-87より引用)
危機に陥ったロイヤル。中根氏は抜本的な改革――リストラを決意する。もちろん出すべきところに金は出すが、節約すべきものは節減し、削除すべきものはゼロにする。それも1年で変えることを決めたのだ。
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中根氏の著書『本物だけを世界から―――商標権と真贋問題を乗り越えて』(ダイヤモンド社刊)は、ロイヤルを創業してから今に至るまでの約40年間を振り返る経営書であり、経営の神髄が至るところに散りばめられている。