火葬後か、四十九日後か、信仰によって異なってきた「人の死」の基準 (1/2ページ)
日本列島の多くの地域を含めて、かつての東アジアの多くの地域では、腐敗や火葬などで故人の肉体が白骨化する、つまり肉体を失うまでの間は、その死者は、生きている状態の延長線上にあると信じられていた。この信仰には、地域や宗教宗派などによって様々なバリエーションがあり、また特に近年まで火葬が非一般的であった地域や宗教宗派ほど、この信仰が強く残っている。
■火葬するまではまだ生の延長線上と考える信仰
日本が現在に比べ大幅に火葬率が低かった、1950年代の極めて初頭の頃、民俗学者 堀一郎は、火葬が早くから一般化した地域では、「死者の肉体と霊魂は別々のものである」という信仰が強いと指摘した。この堀の指摘を逆にいえば、近年まで火葬が非一般的であった地域や宗教宗派では、「死者の肉体と霊魂は一体である」という信仰が、より強いといえる。そして実際、それを裏付ける報告は、これから述べるように多い。
ちなみにこの「遺体が完全に白骨化していない死者は、まだ生の延長線上にある」とする考え方は、しばしば「遺体が腐敗したり火葬されたりする過程で、遺体の主である死者は、苦痛を感じている」という形でイメージされる。
■四十九日までを生の延長線上と考える信仰
例えば、与論島や沖永良部島では、伝統的に、死者は四十九日祭までは、肉体が腐敗する過酷な苦痛に耐えなければならないため、遺族は死者の苦しみを和らげる必要があるとする信仰があった。その「死者の苦しみを和らげる」行いとして、墓参りが重視された。かつては、棺の中の腐敗していく遺体を、実際に見ることもあったという。また、遺体が腐敗する際の臭気に対しても、悪臭のことを言葉やしぐさに出したりすると、死者に嫌われ、祟りがあるとも信じられていた。
なお沖永良部島では、故人が亡くなってから四十九日後が、腐敗によって遺体の首が胴体から落ちる時期とされた。その「遺体の首が落ちる」ことによって、故人の魂は肉体を離れ、昇天するとされた。