民俗学者の折口信夫が記した「死者の書」に勇気づけられた劇作家の加藤道夫 (3/7ページ)
■死者の書に勇気を貰い、生きながらえ帰国したが…
『死者の書』を携え、1946(昭和21)年にようやく帰国した加藤を迎えた東京は、一面、焼け野原だった。そればかりではなく、加藤の目には、人の心はすさみ、うらぶれ、巷には悪と禍が満ちているように見えていた。加藤自身の体も、当時の食糧事情の悪さからくる栄養失調に加え、戦地から持ち帰ったマラリアに苦しみ、しばらくは何もできない状態だった。
『死者の書』に「生」を鼓舞されていた加藤が自宅で首つり自殺を決行したのは、自身の体はもちろんのこと、日本そのものも敗戦の傷が癒え、だんだんと幸福に向かいつつあるように見えた、終戦から8年後の1953(昭和28)年、彼が35歳の時だった。
■三島由紀夫が述べた加藤道夫の人となり
彼の死を振り返り、「戦争に殺された詩人」、そして「加藤氏ほど心のきれいな人を見たことがない」と述べた三島由紀夫(1957年)によると、「理想の劇場」を夢見ていた加藤を取りまく演劇界の「明治の開化時代と同じ」、「何か1つ語学が達者で、外国の本をたくさん読み」、「しじゅう芸術的不満に煮立ってをり」、「否定の情熱を弁当箱にのやうにぶらさげ」「外国の演劇理論や演技理論を丁寧に祖述し」、「しょつちゆう青年層にむかつて媚態を呈して」いる状況、そして加藤自身の「戦後の貧窮」、「肋膜炎、肺患」などによって、「音楽におけるライトモティーフのやうに戦争と死が底流をなして響き、結局、もうすこしで光明の見えさうな事情までもが、彼を死へ追ひやるための緊密な伏線として働いた」と断じている。
加藤が死を選んだ1953年は、加藤が親しかった作家の堀辰雄が肺結核で5月28日に、そして折口信夫が胃がんのために9月3日に亡くなった年でもあった。
■その他にも沢山の人物が加藤道夫について述べている
演劇評論家の野村喬(たかし、1930〜2003)は、加藤の妻で女優の加藤治子が「死ぬ前の半年間、彼が別人のようになった」と回想していたことを挙げ、「幽明境を異にした堀辰雄・折口信夫の死者の世界とすでに交わっていたのではなかろうか」と推測している。