民俗学者の折口信夫が記した「死者の書」に勇気づけられた劇作家の加藤道夫 (5/7ページ)

心に残る家族葬

「もしもう少し生きのびて、この状態を克服し、客観視する時が來たならば、この夢想家は、戦争と死のおそるべきドラマを書いたであらう」と書き記していた三島由紀夫もまた、1970(昭和45)年11月25日に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地(現・防衛省本省)で割腹自殺を遂げた。

加藤道夫や三島由紀夫のような著名人のみならず、必ずしも家族や友人・恋人に限らなくとも、自殺した人を何らかの形で「知っていた」、後に残された人々の多くは、三島の言葉のように「もしもう少し生きのびて、この状態を克服し、客観視する時が來たならば…」と、一生、悔恨の念、或いはトラウマを持つことになる。三島は「決行」の前に、盟友の加藤を失った折に、自身の心に強くわき起こった喪失感を、後に残された人々も同じように持つことになることを想像しなかったのか。仮に思い浮かべていたとしても、今、ここで、自分は死なねばならない!という強迫観念のほうが強かったのだろうか。

■加藤を勇気づけた『死者の書』の著者である折口の生い立ち

加藤を勇気づけた『死者の書』の著者である折口は、大阪・西成郡木津村(現・大阪市浪速区)の裕福な家に生まれた。しかし異母兄弟と暮らす複雑な家庭環境、父親の死、短歌に惑溺しつつも学力が低下し、ついに中学校を落第するという挫折体験ゆえに、思春期に自殺未遂を繰り返していた。しかしあるとき、幼少期から彼をかわいがってくれていた叔母に誘われ、河内や大和を旅して回るうちに、折口は「泣きべそをかきながら、暮れ方の道を独りべたべた歩いてゐる、さういふ気持ちが、私につきまとふやうになった」。

果てしなく孤独に歩き続ける「旅の心」が萌すようになってから、いつしか折口の心から、自殺念慮は消え失せてしまったという。それゆえ、1927(昭和2)に自殺した芥川龍之介に対して、「あんなに死にたいならば、あんなに死に栄えのする道を選ばなかつたらよかつたと思ひます。世の中には死にたくつても、それを以て死んだ、と思はれることの堪へ難さに生きてゐるものが、沢山あるのです」(1928年)と語っていた。

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