天才テリー伊藤対談「港カヲル(皆川猿時)」(3)22歳の時はバイトの記憶しかなくて (1/2ページ)

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天才テリー伊藤対談「港カヲル(皆川猿時)」(3)22歳の時はバイトの記憶しかなくて

テリー せっかくですから役者・皆川猿時さんのお話も聞きたいんですが。福島から出てきて、最初は「東京乾電池」に入ったんですね。

 はい、研究生として1年間所属しました。

テリー 上京した時にはもう役者を目指していた?

 そうなんです。当時、おニャン子クラブの渡辺美奈代ちゃんが大好きで。彼女に会いたくて「芸能界に入ろう」と。

テリー いいですね、動機が不純で(笑)。でも、美奈代ちゃんと乾電池だと、かなりの距離感があるじゃないですか。

 当時は今みたいに情報もネットもなかったので、高校の図書館で「役者になるには」っていう本を読んだんですよ。そこにいろいろな劇団の連絡先が載っていて、唯一知っていたのが「東京乾電池」だったんです。僕はテリーさんが演出されていた「(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!」世代ですから、「あっ、高田純次さんだ、知ってる知ってる!」と思って手紙を出したら、オーディションの通知が来まして。

テリー 何で1年でやめちゃったの?

 やめたんじゃなくて、研究生の中から選抜された人だけしか残れないんですよ。だから、そこが最初の挫折でしたね。

テリー なるほど。で、どうするんですか?

 同じく残れなかった友達と2人で、劇団みたいなものを立ち上げました。でも、大人計画に入るまでの5年間で、公演を打ったのは3回ぐらいですね。知り合いの役者を呼んで5人ぐらいで、すごく小規模な公演でしたし。

テリー それは経済的にも大変だよね?

 公演を打つごとに借金しちゃうことになるので、ずっとバイトしていて、お金がたまったら「そろそろやろうか」って。

「天才テリー伊藤対談「港カヲル(皆川猿時)」(3)22歳の時はバイトの記憶しかなくて」のページです。デイリーニュースオンラインは、東京乾電池皆川猿時港カヲル週刊アサヒ芸能 2017年 2/16号テリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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