83歳筆者、体験から考える「国家」..."この厄介な代物"を思う (5/7ページ)
ご親切にも、これ以上、偉大なアステカ文明が、米国のファストフード文化によって損なわれたり、素朴な歓びを感じながら細やかに生活して来たメキシコの若者たちが、お国でも難儀している"欲望経済"によって、これ以上毒され無いように、わざわざ壁まで築いて下さろうというご配慮には、誠に感謝に堪えない。」と。
要は、価値観や視点によって、物事は、全く違う様相、つまり、多様な側面を見せることに成る筈である。
今の米国のみならず、それに追随する諸国の大都会では、必ず見掛ける、典型的なファストフードを、今の段階で、世界遺産に登録しようと提唱する物好きは、幾ら何でも、何処にも居るまい。
そりゃあ、確かに資本力があるほど、テクノロジーの進歩も顕著で、その結果、人々の暮らしが便利になることは、また否定出来まい。
しかし、その便利さの利点も、そこに暮らす庶民たちによる、その新製品の購入が一巡してしまうと、それによってもたらされていた、様々な経済的効果も色褪せるばかりで無く、逆にそのプロジェクトに投入されていた借金や膨大な売れ残り在庫が人々の首を絞める結果となる。
そうなると、人間は元々身勝手であるのが普通だから、給料も上がらず、新規採用はおろか、新しい世界を求めて転職する見通しすら立たないことになり、その結果、その怒りの矛先は、上にも述べたように、メージャーグループに属する自分たちとは、何か異質な、比較的弱い立場の、マイナーグループに属する人々へと向かう、ことになる。
その状況こそが、現在、世界中の国々が困惑し、その解決に苦慮している「難民問題」となって噴出しているのであろう。
ただ、ここで問題なのは、生命、財産の危険に脅かされ、自分が生まれ育った国から脱出する以外に「生き残るすべ」が存在しない、真の「難民」と、それに紛れて、少しでも自分たちの生活を良くしよう、と求める「移民」という課題が混在することであろう。