83歳筆者、体験から考える「国家」..."この厄介な代物"を思う (1/7ページ)

Jタウンネット

画像はイメージです(Lorie Shaullさん撮影、Flickrより)
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本コラムの筆者・ぶらいおんさんは昭和8年(1933年)生まれ。第2次世界大戦を少年時代に体験し、今、揺れ動く国際情勢を見つめている。

今回のテーマは「国家」。ぶらいおんさんの考える、人類がこれから採るべき道は?

無節操なグローバル化も、極端な反グローバリズムも...

我々の日常生活に無くては困るものの、かと言って、その在り方や機能的な態様が不適切であると、どうしようも無い困りもの、迷惑千万なもの、そんなものは、何時でも身の回りに、結構転がっているものだが、その最たるものが「国家」という仕組みだ、と人生の終焉を迎えようとしている今、筆者はつくづく、その思いに満たされている。

ここで、真っ向から「国家」とは何か?「国家」というものは、如何にあるべきか?等という事柄を論ずる気は無い。

そうでは無くて、筆者が生きて来た時代の初めの頃は「国家」が前面にしゃしゃり出過ぎて居り、今から考えてみても、実際に体感した「国家」乃至「国家主義」は控えめに言っても、「異常」であった、と言わざるを得なかった事実を、ここで述べて置こう、と思う。

その時代を生きた多くの人々が書き残したり、語ったりしているが、筆者の世代では、個人として、辛うじて、「国家」からの、生命提出の要求を回避し得たのは、単に、そういう風に(つまり、特攻隊に志願したり)せざるを得ない年齢に、筆者が到達する前に、敗戦を迎えた結果、ようやく日本という国が、軍部や政治家たちの独裁的な体制から抜け出せたからに過ぎない。

豊かな可能性を秘めた若者たちの、掛け替えのない生命が、「お国のために」というスローガンを掲げることにより、実際には単に利用されて、無節操に消耗された過去を、決して忘れてはならない。

こんな非常識で不条理な話は、敗戦後、一応、民主主義に基づいて国が運営されることとなった、現在の我が国では、絶対に許されないことだ。

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