【新東方見聞録】仏像を巡るアジアの旅へ (1/3ページ)
仏教は、「人類史最大級の謎」かもしれません。
アジアに点在する仏教遺跡は、同じ宗教であるはずにもかかわらずその姿がまったく異なります。モンゴルからインドネシアまで、それぞれ気象も自然条件もまったく違う土地で信仰されてきたのですから、仏像の形式も変化していくのは当然かもしれません。
今回の記事で読者の皆さんにご提案するのは、仏像を巡るアジアの旅。
あらゆる顔の仏様が、きっと皆さんの来訪を待っています。
「微笑みの国」の仏様
タイの仏像は、とても柔和な顔をしています。身体も細身で、どちらかと言えば女性的なシルエットです。
この国では13世紀のスコータイ朝時代から今に至るまで、このような形の仏様が崇拝されています。
マレー半島地域は例外として、タイで「宗教」と言えばやはり仏教です。数年前、タイ人で初めてアングリカン教会の司祭が誕生しましたが、この国のキリスト教はマイナー宗教。全人口の0.5%ほどで、しかもその大半は華人かベトナム系の人々です。
仏教が強過ぎて、他の宗教がなかなか広まらないということです。
タイ人にとって、仏様は心の拠り所。日常生活に溶け込んでいます。僧侶は誰よりも偉く、満員電車の中でも必ず席を譲らなければなりません。
仏教は、登山に例えられることがよくあります。たしかにその目的は同一ですが、手段は多種多様です。歩いて行ってもいいし、ロープウェーがあるならそれを利用してもいい。また、そもそも登山道はひとつではありません。
日本人仏教徒から見て、タイ人は反対側の登山道から登ってくる人々と言えます。ですが、目指す先は同じ山の頂上というのも事実です。