「文学的失語」に見舞われた芥川賞作家 6年ぶりの新作を語る(1) (6/6ページ)

新刊JP

「ある平衡」では、一見普通の結婚生活を送っている夫婦が出てくるのですが、やはり書いていると自分自身のことを思い出しますし、そうなると「このまま穏やかに終わるのはウソだ」という気持ちになってしまう(笑)。

――「蝸牛邸」は、終始「渦巻」のイメージがつきまといます。ある種偏執的なものを感じました。

諏訪:この作品では、やはり聴覚を大事にしながらも、渦巻や螺旋へのオブセッションを視覚的に書きたいというのがありました。

マイマイカブリがカタツムリの中に頭を突っ込んでその肉を食べる場面もそうですし、主人公の津由子の家の構造もそう、それが津由子自身の中耳や内耳の構造に接続されて螺旋迷宮の幻想譚に仕立てました。

津由子が聴くレコードが印象に残るよう度々出てきますが、レコードという意匠も曲が進むにつれて針が中心に近づく、言ってみれば渦巻ですし、そのレコードはグレン・ミラーという指揮者でトロンボーン奏者の作品で、トロンボーンもホルンやチューバほどではありませんが、カタツムリの殻に似た形状、いくつかのカーブを持つ螺旋といえます。

螺旋は、中心に行けばいくほど細く窮屈になっています。養祖父がなくなって、奥嵯峨の邸で一人ぼっちになった津由子は、生活や人生に追い詰められ、カタツムリが殻にこもるように、渦巻状の構造になった家の中心にある坪庭の蔵を開きます。その部屋にあった赤染衛門の家集を読みながら毎夜、養祖父の思い出に浸るのですが、その追憶が極まって、うたた寝のさなかに養祖父の幻想を見たとき、彼女は自分の最奥、つまり螺旋の一番内側に来たと感じる。

そこからは、螺旋を逆にたどるように、津由子は外にひらけて浮かび上がってゆくことがほのめかされています。だから、作品の構造も渦巻型なんです。

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