「文学的失語」に見舞われた芥川賞作家 6年ぶりの新作を語る(2) (3/4ページ)

新刊JP

諏訪:僕は文学的には「観念的アナーキズム」の立ち位置にいたいと思ってきました。本当の意味のアナーキズムというのは、「徒党を組まない」という点にのみ本質があって、バクーニンやクロポトキン以降の社会主義化したアナーキズムは実は純粋状態ではないんです。アナーキーとは「自分自身も含め各個人それぞれが国家であって他の誰にも統治されない」という状態を指します。それは簡単に言えば衆を束ねる社会支配がない状態なわけで、だからこそアナーキズムは「無政府主義」と訳され、無意味の芸術、ダダとも接近するわけです。

これが僕の文学的理想に近いのですが、一方で僕は現実生活において社会に従わざるをえません。つまり、アナーキズムを理想としつつ、どこかから印税はもらい、資本主義社会の中で生きているという矛盾がある。これがある限り、いくら文学でアナーキズムをやっているといっても、机上の空論に過ぎない。でもその机上の空論をこそ僕は愛するのです。

ただ、この矛盾を何とか自分の中で決着させるという意味でも、現実社会に何か言葉を投げつけてやらないと気が済まないと最近は思いますね。

――先日、芥川賞が沼田真佑さんの『影裏』に決まりましたが、新人賞受賞作がそのまま芥川賞を受賞したという点で、諏訪さんの『アサッテの人』とも共通点があります。当時のことを憶えていますか?

諏訪:とにかく忙殺されたというのを覚えています。一種の躁状態になってしまい、医師からたいそう心配されました。取材はたくさん受けましたが、頭の中は二作目を書かなきゃということばかりで、心ここにあらずといった状態でインタビューに答えていました。

――新人賞の受賞挨拶でパフォーマンスをしたり、芥川賞の授賞式で歌を唄ったりといったことも話題になりました。

諏訪:そういうことが好きなわけでは決してなくて、引っ込み思案な人間が自己紹介に悩んだ挙句に「窮鼠猫を噛む」というか、せっぱつまって逆に攻撃に出たという感じです。もっとクールにご挨拶申し上げたかったんですけど、なにせ病的な躁状態ですから(笑)。

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