天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 田中角栄・はな夫人(下) (2/2ページ)
「汗っかきの父は、ちゃんと汚れ物の下着と、ワイシャツを別々のビニール袋に入れて帰って来ていました。ところが、首相になっての初の日米首脳会談だけは、母も私も一緒に行きました。このときはあれほどキチッとしていた父が、靴下は母にはかせてもらうし、年上女房というより、年下亭主を満喫していたみたいでした。
一方で、母をファーストレディとして同伴したものの、父はまるで母への気遣いはなく、さすがに母は『私のことも少しは気を遣って下さいよ』と言ったものですが、父いわく『政治家のオレはこの国に戦争に来ているんだッ』と、真顔で言ったのを覚えています」
ここでは、何事も全力投球、真剣勝負だった田中の政治姿勢も窺えたのだった。
田中は首相に就任する約1年前、自らの議員生活25年を祝うパーティーに出席した。
その挨拶で、それまで公の場で妻のことに一度として触れたことはなかったが、いかにもテレ臭そうに初めてこう“謝意”を口にしたのである。
「今朝、家を出る前に言ったんです。『大変、ご苦労だった』と、女房に頭を下げたのであります。そしたら、エプロン姿で台所にいた女房が、エプロンを取って言ったんですナ。『あなたこそ、本当にご苦労さまでした』と」
波乱の多かった政治家人生を振り返って、あるとき田中は側近議員にこう口にしたことがある。
「オレがいろいろ苦境を持ちこたえられたのは、家族が塞がずにいたからだ。そうでなければ、オレはとっくに潰されていたかも知れんな」
はなのファーストレディ2年余は、田中に巻き起こった金脈・女性問題のスキャンダルの集中砲火を浴び、嵐の中で通り過ぎた。首相退陣後も、ロッキード事件での嵐が吹きまくった。田中の華やかだった女性関係も含め、51年に及んだ結婚生活は、はなにとってはある意味で田中以上の激動の歳月と言えた。
そうしたはなを、娘の真紀子は「結局、母は優雅なんです」と評した。また、はな自身は、端から見れば“我慢の一生”ではあったが、言葉少なにこう振り返ったものであった。
「お父さんに対して我を張らないこと。それだけを心がけてまいったつもりです」
日本にとっては、終生、頭の上がらなかった「静かなる猛妻」と言えたのではないか。
=敬称略=
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。