天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 田中角栄・はな夫人(下) (1/2ページ)

週刊実話

 自宅を一歩出ると政治の権力闘争に明け暮れ、一方でノビノビと「女遊び」などの“私生活”を満喫する田中に対して、妻・はなは家庭を守ることに徹した女性であった。
 「田中の初出馬から、一度として応援に選挙区(旧新潟3区)に入ることはなかった。女性票獲得には奥さんが顔を出してくれることが一番強いのだが、後援会幹部も諦めていました。田中も、そうしたことは一切関わらなくていいと奥さんに伝えてあったことによります。田中の母親のフメさんが亡くなってからは、法事には必ずいらっしゃるが、終わるとすぐ実家の2階にこもってしまうなど、我々と話すこともまったくなかったのです」
 政治絡みのことはもとより、とにかく外部との接触は“ノー”に徹していたと、強大無比を誇っていた田中の後援会『越山会』の幹部は、このように証言していたものだ。

 そうしたはなの心境が窺える、雑誌に発言した一文がある。
 田中が39歳で、郵政大臣になった昭和32年の弁である。自己主張を譲らぬ昨今のカミサンとは一味変わり、“含蓄”がある。
 「男が外回りするときは女は家の中、女が出歩くときは男は家で留守番、昼寝と決まっているんだと主人がよく申します。私は娘時代、箱入りと言われたほど外出せずで世間知らずでございましたが、妻の座にすわってからも、また子供の母となった現在も、そうした考えは少しも変わりません。
 主人は私に、結婚のときからお互いの責任を次のように明確にしております。仕事の責任は主人、掃除と戸締りの責任は私、子供の教育は二人の責任でございます。主人は、『仕事のことはお前には分からなくていい。仕事や実社会は苦労が多いものだ。お前が仕事の内容を知っても、苦労するだけで得はない』と、結婚当初から言っております。スピーディな生き方の主人とあまりハキハキしない私との家庭ですが、あまりケンカもありません。『自然の姿が一番いい』と主人はいつも言いますし、私もその意味が分かる年頃になりました。世間一般には通用しない型ではありますが、幸福でございます」(『婦人公論』より)

 一方、田中は首相になる前の外遊にはこうした妻を同伴せず、ほとんど一人で行ったものだが、そのあたりを見ていた娘の田中真紀子(元外相)が、こんなエピソードを披露している。

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