品川区の東海寺にあった原爆犠牲者慰霊碑が葛飾区の青戸平和公園に移された理由 (2/6ページ)

心に残る家族葬



■葛飾区の青戸平和公園にある原爆犠牲者慰霊碑は元々品川区の東海寺にあった


葛飾区青戸4丁目にある青戸平和公園には現在、鳩を手にした女性像が原爆のキノコ雲をイメージした御影石製の台座に立つ「非核平和祈念塔」、1945(昭和20)年8月6日、広島にアメリカ軍によって原子爆弾が投下された際、爆心地から南南東におよそ2.2kmの場所に位置していた「被爆の証人」である御幸(みゆき)橋の縁石、そして8月9日の長崎の爆心地から約190m南にあった民家の門柱の一部に使われていた被災レンガ、千羽鶴の献花台、そして「原爆犠牲者慰霊碑」がある。
 
この慰霊碑はもともと、品川区内の臨済宗大徳寺派東海(とうかい)寺大山(おおやま)墓地(品川区北品川4-11-1)に祀られたものがはじまりである。それは1965(昭和40)年7月、「広島・長崎で無残に亡くなった方々を東京で追悼したい」ということで、東友(とうゆう)会によって、被爆20周年の節目に立てられた、慰霊の木碑だ。その後、遺族や会員の間で「永久的な石碑を建てたい」という声が高まったことを受けて募金を募り、2年後の8 月に東海寺境内(品川区北品川3-11-9)に慰霊碑が建てられたのだ。中央に立つ石碑の左には広島の爆心地の石と解説文、そして右に長崎の爆心地の石と「我等生命もて こゝに記す 原爆許すまじ」という誓いの言葉が刻まれた碑石を配している。それ以来、東友会は45年間、東海寺の歴代住職の理解によって、境内の慰霊碑前で追悼行事を行ってきた。

■原爆犠牲者慰霊碑は東京に移り住んだ被爆者を祀ったもの


この慰霊碑建立を意図した「東友会」とは、広島・長崎で被爆した後、東京に移り住んだ被爆者たちによって、1958(昭和33)年11月に結成された組織である。
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