天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 三木武夫・睦子夫人(上) (1/2ページ)

週刊実話

 歴代首相夫人の中で最も猛妻中の猛妻、「最強の猛妻」と政界関係者の誰もが異論なしが、この三木武夫の妻・睦子である。政治も読める一方、賢夫人としてその度胸、豪放磊落ぶりも群を抜いている。
 「もし、睦子夫人がオチンチンをつけて生まれていたら、間違いなく三木より早く総理のイスに就いていた」と、これは三木夫妻をよく知る人たちの圧倒的な見方でもあったのだ。

 対して、一方の三木は、一貫して「政治改革」「党近代化」などの旗を掲げ続けてきた「議会の子」である。昭和62年(1987年)4月、じつに代議士生活50年を迎え、衆議院での表彰を受けている。これは明治、大正、昭和を通じ、政党政治家として名を残す「憲政の神様」尾崎行雄(咢堂)の63年の代議士歴に続く記録である。権勢をほしいままにした田中角栄元首相に「全権批判」の声を上げ続け、その田中が金脈・女性問題を引き金に退陣したあと、自民党内の混乱収拾のため、当時、副総裁だった椎名悦三郎による「裁定」で首相の座を手にしている。
 しかし、明治大学を卒業したあとは生家が肥料商で裕福、一人息子ときたから就職せずで欧米遊学と“お坊っちゃま”生活ざんまいだった。実社会で汗を流すことなく、30歳になったとき、無所属、無名、地盤すら固まっていなかったが衆議院議員出馬、初当選を飾っている。無謀な挑戦だったが、時に朝日新聞社が純国産の社機として「神風」号をロンドンに飛ばして大きな話題となり、三木は「神風候補」とのキャッチフレーズを獲得、これが幸いしての徳島全県区3位で初当選だったのである。

 一方、甘やかされて育ち、実社会でもまれた経験なしのこの政治一筋「議会の子」は、なるほど日常生活はまるで“ダメ男”だった。要するに、なんとも“手のかかる男”だったのである。
 筆者が睦子夫人から、直接、聞いた話、あるいは三木の側近議員、政治部記者などの証言から、次のようなエピソードがゴロゴロ出てきたものである。
 「三木の好物は殻付きの落花生とミカンだったが、落花生は殻といわず皮といわず落としまくる。ために、ズボンの膝あたりはいつもゴミだらけにしていた。

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