新潟の都市伝説「あげまん慶子」の真相 (1/2ページ)
ミリオン出版発行「昭和の謎99」という雑誌に「あげまん慶子」について寄稿しました。その「あげまん慶子」とは一体何だったのか―ー。
僕があげまん慶子の噂を聞いたのは「アクションカメラ」(ワニマガジン社)の編集だったころなのでかれこれ20年近くになります。
その噂とは、
「新潟で自ら『あげまん』と名乗っている女性いる」「新潟の繁華街で有名」「慶子は中年女性で手書きのビラに『あげまん、名器』という謳い文句に電話番号を載せている」「自転車でそのビラを『はい、あげまーん。あげまんでーす』と言いながら配っている」「男子トイレや公衆電話にもビラを貼ったり、マジックでビラと同じ文言を書いている」
慶子が実際に配っていた手製のチラシ。写真・編集部
電話口で「で、いくらあんの? あたしは色々な男をあげてきた。田中角栄(説明不要の新潟出身の総理大臣)もだよ」と言います。年代的に合っていないんだけどという言葉は飲み込んで、僕は「10,000円しかもっていない」と言うと「10,000円じゃ、占いだけだね」との事。何とかインタビューを試みたのですが、最近は「東京から取材とか入っていて忙しい」のだそうです。
因みに、これは2年後くらいに2回目に新潟に行って電話で話を聞いたときのコメント。V&Rでその前後、ビデオを録っていたので「東京から取材」というのはその事かと思われます。
あげまん慶子に取材を試みた2回目は。難航を極めました。慶子(以下敬称略)が新潟都心部からいなくなってしまっていたのです。繁華街のキャッチに聞いても「そう言えば見ないな」と言います。公衆電話に書いてあった慶子の電話番号も薄れてしまっていて、慶子の存在感を象徴しているようでした。どうやら警察に目をつけられてしまったそうです。
幸いにも、というか本当に偶然入ったバーが慶子のいきつけで、マスターが慶子の写真と電話番号を教えてくれたのでした。バーで聞いた話は「慶子は決して変な女性ではないですよ。いい奴です」というのが大変印象に残っています。ここのバーのマスターは人間とちゃんと向き合う人なんだなと、今でも感慨深いものがあります。