永遠のロングセラーはどう生まれたか。みすず書房と『夜と霧』の60年 (3/7ページ)

新刊JP

「当時の資料を見ると、遠藤周作なんかは『フランクルの意図と本の作りが違うのではないか』というまっとうな指摘をしていますが(笑)、多くの書評においてこの本は受け入れられました。
みすず書房が出した新聞広告を見ると、『ナチの強制収容所に一家ひとくるみ囚えられ、両親妻子ことごとくガスかまどで殺されつつ…』とセンセーショナルに書かれているんだけど、当時彼に子どもはいなかったし、両親がガス室で…というのも嘘でね。当時はこういう衝撃的な文句で広告を出していたんです」

しかし、どうしてオーストリアで絶版になっていた本が、出版から約10年後に日本で発行されることになったのだろうか。

そこに尽力したのが旧版の翻訳者であった臨床心理学者の霜山徳爾氏であった。

『フランクル「夜と霧」への旅』によれば、霜山氏は西ドイツ留学中の1953年にこの本をたまたま見つけ、深い感銘を受けてウィーンのフランクルを訪ねた、とある。
そして河原氏は「霜山は、単に『夜と霧』の最初の翻訳者というより、彼こそが、この本をみつけて日本に伝えた人なのだ」(『フランクル「夜と霧」への旅』p.41より引用)とつづっている。

当時は「アウシュヴィッツ」も「ホロコースト」も一部の人間しか知らないような時代であったが、霜山氏は帰国後、翻訳書をみすず書房に持ち込むと、当時の編集長だった小尾俊人氏が衝撃を受け、「この事実を世に送り出そう」ということから出版に至ったという。

旧版『夜と霧』の冒頭にある「出版者の序」には次のように書かれている。

我々がこの編集に当って痛切だったのは、かかる悲惨を知る必要があるのだろうか? という問いである。しかし事態の客観的理解への要請が、これに答えた。自己反省を持つ人にあたっては「知ることは超えることである」ということを信じたい。

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