永遠のロングセラーはどう生まれたか。みすず書房と『夜と霧』の60年 (4/7ページ)
そして、ふたたびかかる悲劇への道を、我々の日常の政治的決意の表現によって、閉ざさねばならないと思う。 (『夜と霧』p.2-3より引用)
■『夜と霧』は告発する本ではない。「読者が正しく読み、イメージを変えていった」「出版者の序」に書かれている「知ることは超えることである」という言葉は、『夜と霧』という本が、強制収容所やホロコーストを「告発する」側面を持っていることを暗に示している。
しかし、そうした出版社の意図とは裏腹に、『夜と霧』は思わぬ読まれ方をされることになる。
守田氏は次のように話す。
「みすず書房は1000万人を虐殺した大殺人工場の実態というようなセンセーショナルな広告で出したし、最初はそういう形で受け止められたようです。でも、今はまったく違う、人生論の本として読まれているように思います。それは読者自身が本のイメージを変えていったのです」
読者が本のイメージを変えていった――。
そのヒントが『フランクル「夜と霧」への旅』の中にある。
河原氏は本の中で、詩人・石原吉郎氏の「告発しない」という言葉をあげている。石原氏自身はシベリア拘留を経験しており、フランクルの『夜と霧』が自身の体験を問いなおしていくのに大きな影響を受けたようだ。
この「告発しない」という言葉に対して守田氏はこう解釈する。
「石原吉郎さんは『告発しない』と評されていますが、ナチスがどれほど酷いことをしたかということは、この本の主題ではありません。『人間とは何か』『生きる意味とは何か』というフランクルの主題を読者が自分なりに受け止め、『夜と霧』の正しい姿を広げてきたと思うのです」
実際、フランクルも『夜と霧』が現代史のドキュメントとして読まれていることに困っていたようだ。
『フランクル「夜と霧」への旅』には1990年代にフランクル側から「アウシュヴィッツ告発本のようなつくりは、著者の言いたいことと違う」という意向が伝えられていたとつづられている。