「ツタンカーメンの呪い」その犠牲者になったとされる9人にまつわる都市伝説 (4/6ページ)
ボルティモアにあった彼の家が、ディナーパーティを主催した後、一時間もしないうちに焼け落ちた。
無事に脱出したものの、とりかかっていた論文の原稿を取りにエンバーは再び家の中に戻り、妻は息子を助け出そうとした。残念ながら、家族とメイドがこの火事で死んだ。ちなみにエンバーがこの時執筆していた原稿のタイトルは、"エジプトの死者の書"である。
・7. リチャード・ベセル(カーナヴォン伯の秘書)
カーナヴォン伯の秘書で、ハワード・カーターに続いてツタンカーメンの墓所に入った最初の人物である。ベセルは1929年に不審な死をとげた。ロンドンの会員制クラブの一室で窒息死しているのが見つかったのだ。
まもなく、ノッティンガム・ポスト紙はこう報じた。「高名なリチャード・ベセル氏が、呪いの犠牲になったと暗示させることは、実は去年起こっていた。ツタンカーメン王の墓から出土した極めて貴重な財宝が保管されている家屋での一連の不審火だ」
財宝とベセルの死の間になんらかの関係があるかどうかの証拠はまったくない。
・8. サー・アーチボルト・ダグラス・リード
ツタンカーメン王墓の発掘メンバーでなくても、呪いの犠牲になることを証明してしまった例。リードは放射線学者でツタンカーメン王のX線写真を撮って、博物館へ送っただけなのだが、翌日から体調を崩し、3日後に急死したという。