天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 細川護煕・佳代子夫人(上) (2/2ページ)

週刊実話

夫妻揃っての初訪米でもあったクリントン大統領との首脳会談から帰国の際も、飛行機のタラップを降りるとき、下で待ち構えるカメラマンになんともこれ見よがしに、細川が佳代子にさり気なくマフラーを巻いてやっている姿を撮らせては、いかにもラブラブの“夫唱婦随”を見せつけている。

 いまは、安倍晋三夫妻がタラップの昇降でごく自然に手を握り合ってを見せつけているが、細川以前の首相は、そんなコトは恥ずかしくてとてもできなかったものである。日本新党当時の担当記者の、こんな証言が残っている。
 「細川が日本新党を旗揚げして以後、本人は多忙ゆえ熊本の選挙区にはなかなか帰れなかった。選挙区で、夫の“名代”を務めたのが佳代子夫人だった。平成5年の細川の初の衆院選では、一人で取り仕切っていた感があった。細川のポスターに、夫と並んで同じ大きさの自らの顔写真を刷り込むといった“奇策”をやって選挙民を驚かせた。また、細川が首相になったあとも、自ら日本新党PRの記者会見を開くことが多々あった。歴代首相夫人のなかで、この回数は佳代子夫人がダントツだったのです」

 その細川夫妻は、ともに上智大学の出身で、細川がゴルフ部の部長、佳代子もそのゴルフ部に所属していたことで知り合った。学生時代の細川のゴルフはハンデ6となかなかの腕前だったが、佳代子のほうも関東女子ゴルフ選手権で優勝するなどの腕前。
 「学生時代の佳代子夫人は女優の山本陽子似のキュートな美人で、この頃から細川は夫人にゾッコンだったそうです」(前出・日本新党元担当記者)

 その後、細川は大学卒業後、朝日新聞社に入社。鹿児島支局を皮切りに最後は社会部に配属され、都合5年半の記者生活を送ることになる。
 ちなみに、社会部時代には「東大紛争」「金嬉老事件」などを取材、後者では籠城する金嬉老に果敢にも単独インタビューを試み、金からションベンをひっかけられて追い返され、失敗したというエピソードがある。

 結婚も簡単にはいかなかった。
 「細川は、『ぼくは将来、政治家になるつもりだ。君の手助けが欲しい。君は、なんでもやれる“成長株”なんだ』と言った。ところが、このとき佳代子夫人の返事はノーだった。『将来のことをお約束することはできません』と、ピシャリだったと言います」(同)
 細川は肥後・熊本の「殿様」の末裔、“原因”は家柄の違いだった。=敬称略=
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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