天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 細川護煕・佳代子夫人(上) (1/2ページ)
戦後の総理大臣の“風景”を一変させてしまったのが、それまでの長き自民党一党支配に終止符を打ち、自民党「徳川第15代将軍」に擬せられた宮澤喜一退陣のあとを受けて首相になった細川護煕、そしてその妻・佳代子であった。
平成5年(1993年)8月、この国の戦後政治は一大“エポック・メーキング”を迎えた。ときの新生党代表幹事だった「政界仕掛人」小沢一郎(現・自由党代表)の“大仕掛け”で、日本新党の細川護煕を首班とする社会党、公明党など8党派による「非自民」連立政権が誕生、ここに「保守VS革新」の自民党と社会党による「55年体制」が崩壊し、新しい“試み”の中で戦後政治が再出発を迎えたということだった。
政局観の鋭い小沢は、日本新党が「非自民」連立政権実現へのカギ、すなわちキャスティングボートを握っているといち早く見抜き、その党首に“総理のイス”のニンジンをぶら下げて見せ、その思惑どおり細川がこれに乗ったということでもあった。
ときに、参院議員1期、熊本県知事経験はあったものの、細川は衆院当選わずか1回、それも当選からたった数カ月の55歳。田中角栄の54歳に次ぐ、当時、戦後2番目の若い首相の誕生だったのである。
この細川首相の登場は、総理大臣のみならず、政治そのもののスタイルも一変させた。それまで首相官邸で40年近く歴代の官房長官に仕えた元官邸職員の石川明枝女史の、おおむね次のような驚きの声がそれを物語っている。
「まず、非自民内閣の閣僚に社会党出身者がいることが、官邸の劇的変化の象徴でした。また、細川首相は総理執務室の壁をベージュ色に張り替えたり、ソファも新しくして、それまでの暗く重いイメージを一変させてしまった」(『サンデー毎日』平成17年9月4日号)
また、それまでの首相の記者会見はイスに座ったままのそれだったが、細川は立ってプロンプターを使い、国民に語りかけるスタイルに一新させている。そのうえ、執務室から記者会見場に向かうときでも、それまでの首相は渡り廊下を使ったが、細川はいったん官邸の外に出、わざわざ官邸の正面玄関から前庭を歩いて会見場に足を運び、これをテレビカメラに撮らせるなども“工夫”していたものである。
一方、その妻・佳代子も、パフォーマーぶりを発揮した。