天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 細川護煕・佳代子夫人(下) (2/2ページ)

週刊実話


 政権投げ出し理由は、当時の東京佐川急便からの「1億円借金」で、その使途の釈明に行き詰まり、さらに新たな金銭疑惑も浮上したことにある。

 その細川の退陣後、評価が下がりっ放しだった夫に代わって、日本新党の集会、細川の熊本の選挙区後援会の会合などに、頻繁に顔を出していたのが佳代子であった。当時の熊本の地元記者の、佳代子の八面六臂の“猛妻”ぶりを伝える証言が残っている。
 「夫人は“殿”の失地回復を狙って、じつによく熊本に帰ってきていた。盛んに『夫が総理を辞めたのは本人が悪いのではなく、足を引っ張ったマスコミが悪いからです』と、ブッて回っていましたね。そのくらいだから、後援会幹部あたりからは『夫人が衆参いずれかの選挙に出てみてはどうか』の声がかなり出ていた。夫人は、『とても私などには…』と口では言っていたが、顔はまんざらでもなかったと見る者が少なくなかったのです」
 結局、細川は首相退陣とともに「政治」からキッパリ縁を切った。「殿」ゆえの恬淡さが、にじみ出ていた。佳代子もまた、夫に従った。その後の佳代子は、知的障害者のためのNPO法人の名誉会長などの肩書きは持ったものの、「政治」とは関わらぬ活動に余念がなかったのである。

 一方の細川は、一時、たまにラジオ番組に出たり、寺社を巡る紀行文を週刊誌などに発表。かろうじてこれが公の場に出るということだったが、今は神奈川県湯河原の祖父・近衛文麿元首相の別荘で悠々自適、本人に言わせると「隠遁生活」を送っている。
 「近所から借りた30坪ほどの畑で野菜をつくったり読書三昧、玄人肌の作陶にもなお励んでいるようです。たまに、近辺のゴルフ場に顔を出したりで、ほとんど湯河原にこもりっ切り。一時は、小泉純一郎元首相と『原発反対』の声を上げていたが、最近はそれもあまり聞こえて来なくなっている」(消息を伝え聞いている政治部記者)

 「稀代の役者」とも言われた細川。「政治が変わる」と期待を持った人には失望感も少なくなかったが、小選挙区の導入を柱とした選挙制度改革が、実績として残っている。一方で、「夫ともどものパフォーマー」と言われた佳代子。いま、一つの時代は遠のいた。
 「殿様宰相」の誕生とともに、以後の選挙は無党派層が多く定着、その投票行動が選挙結果を左右する形になっている。選挙の歴史を変えた政権でもあったのである。
=敬称略=
(次号は、羽田孜・綏子夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。
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